父の日🌷

今日は父の日。

もうお父さんが亡くなって10年が経つけど、父の日のプレゼントを欠かした事はなく、今年はお団子をお供えした。

 

私が、産まれた時からお父さんは透析をしていて、仕事して透析して殆ど家にいなかった。

シャントの手術ばかり繰り返して傷だらけの腕のお父さんを見てきた。

お父さんは、いつも私の側にいてくれて、何よりの理解者だった。

 

 

 

でも私は、そんなお父さんに酷いことばかり言ってしまった。

お父さんは自分の余命が少ないことを自分1人で抱え込んで家族の誰にも言わなかった。

私が美桜を産むのを悩んでいた時、お父さんは美桜を産むことで私の病気が治るのではないかと信じて産むことを賛成してくれた。

 

私が仕事に行くのが不安だった時も送り迎えをしてくれた。

仕事から帰ったら、お父さんが居間に倒れていて、既に意識がなかった。

病院着いて人工呼吸器をつけて意識ないお父さんの姿を見てもお父さんがこのまま亡くなる訳がないって思ったけど死亡確認後看護師さんがエンゼルケアをする時に看護師さんに一緒にさせて下さいと頼んだら一緒にさせてくれて、お父さんは亡くなってしまったんだって実感した。

 

棺に入れる時、もう少し待ってくださいって言ったら、おじさんから怒鳴られ警察を呼ばれて従兄弟から病院に連れて行かれた。

治るまで出てくるなと言われ、お父さんの骨を納める事も出来なかった。

 

私はなにかあると、お父さんのお墓に行きたくなる。前は良く運転して1人で行っていた。

お父さんは今でも私の大好きなお父さん。

 

でも、時々考えさせられる。

人が生きる事、死ぬ事について。

私は今まで看護助手の仕事で産科やNの赤ちゃんがいるところで働いて生命が誕生した姿、未熟児で頑張って生きようとする赤ちゃんをみてきて、感動したり勇気をもらった。

逆に、介護の仕事で、病気に勝てなくて自分の意思で亡くなった人やつい昨日まで元気だった人が突然亡くなった人、夜勤の時、急変して、バイタルを図り救急車に乗せたりした人をみてきて、その人の気持ちや残された家族の思いについて沢山考えさせられた。流石にその時は、落ち込んだり仕事に対して無力感を感じたりもしたけど、私はその人達と関わって来たことは決して今でも忘れてはいないし、忘れたくない。沢山の人の人生の中に自分が少しでもかかわれたことは、私にとっても大切な人生の一部だから。

 

私も病気になって色々な人に迷惑かけて先生や看護師さんに、ワガママ言ったり甘えたり困らせたり。

わかってはいるけど、不安で寂しくて頼ってしまう。人の優しさに甘えてしまう。

病気に負けてしまいそうな時は死んでもいいなんて考えてしまうけど、そんな時、ついこういう出来事を思い出してしまう。

 

私は、やっぱり、いつか又医療や介護の仕事に携わる仕事がしたい。

私は人が誕生して最期を迎えるまでの人生の一部を支えたいし、その人達の人生の中で笑いあいたい。

患者さんは出会いお世話してくれた先生や看護師さんは忘れたりはしない。

 

私は、おじいちゃんが亡くなる前に質問された。まだ中学生だった私に、おじいちゃん亡くなるんかの?って。

私は答えられず、立ち止まってしまった。

あの時、何て答えてあげたらいいのか、わからなかった。

でも、その会話がきっかけで私は介護をしたいと思った。

人を介護する中で人が生きて最期を迎える事の意味を見つける為に。

 

来月は、2人目の子供の命日がくる。